人から嫌がられる話

IT系若社長と、プログラム生産工程の定量定質低コスト化ってのはどうやったらできるんだろうね、と話したことがあった。

その社長の持論は、我々はプログラムを製造しているのであって、開発しているのではないというものだった。製品を製造しているのであって、開発じゃないだろと。開発じゃないんだから、その製品がちゃんと動くかどうか調べるのは、テストではなく検品だろと。

ごもっともです。
開発などという大層なものは、研究者さまがするものであって、IT労働者がするものではない。IT労働者がやっているのは、誰かが既に開発した道筋を真似て製品を作っていると言える。

開発って考えていると、コスト意識も薄くなるが、製造だと考えると、トヨタのカンバン方式よろしく、詰められるところは詰めまくり、共通化できるところは共通化しまくり、属人的になることなく、生産ラインの効率性によって、定量定質低コスト定時にお届けとなるべきなのだろう。

とは言っても、システムは一品モノが多く、生産ラインを構築して大量生産しようにも、マッチする需要がないのかも知れないが。

プログラム作るのは「開発」ではなく「製造」だという話をプログラマーに対してすると、とても嫌がられるのだそうだ。
まあそりゃそうだろうね。開発しているのなら、プログラマーは余人に替え難い専門職だが、製造してるなら、ベルトコンベアーに並んでるパートのおばちゃんとなんら変わりないのだから。

私は「人材」という表現が嫌いで、さらに調子くれて「人財」なんて言っている人を見るとケツからカンチョーかましたくなる。
我々は「労働力」という、極めてフロー的な存在であり、良くも悪くも日々消費される消耗品(正確には品ではなくパワーだが)だ。決して保存される価値的なニュアンスを持つ「材」とか「財」ではない。

力なのか材なのかという本質を見誤ると、自分を雇用者に対してどう売るべきなのか、売り時はいつで、いくらで売るべきで、どのくらいの力を出しておくのが妥当なのかというのを間違ってしまう可能性がある。
自分自身の値付けや売り時を誤れば、それは雇用者側にエエように買い叩かれ、使い潰されることになる。

ということを、「資源小国である日本の唯一の資源は人材である」と信じている人に話すと、大変に嫌な顔をされる。お前は人として間違っているぐらいのことはけっこう言われる。

人間、事実とか真実なんてのはけっこうどうでもよく、自分には価値があると信じられる価値観の方が、前向きに生きていくうえではるかに重要だ。
生産力を強化するために必要な「製造」という概念も、人は経済行為の上では「労働力」や「消費力」なのだという視点も、人が日々をハッピーに生きるには大して必要ではない。
訳知り顔で、理屈の上では正しいことを披露して回っても嫌な顔をされるだけで、実に無益なことだ。

知ることや考えることは、必ずしも人間を幸せにするものではない。何が幸せなことなのかは、みな自分自身で決めることだから。

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